岡田小避難所120日間

 6日の夜、20時半頃に自宅に戻ると、岡田小学校に多くの人が避難していると連絡がありました。学校に行ってみると、岡田の住民だけでなく、4年前から合同で避難訓練を実施していた川辺地区の住民がたくさん避難していました。その他に箭田、有井からも避難されていました。夜22時過ぎには、避難所に指定されていた体育館だけでは避難者が収まりきらなくなり、学校の先生方や教育委員会と連絡を取り、近くに住む先生に駆けつけてもらって教室を開放していただきました。特別教室など各教室を避難所として使えるように机や椅子を動かし、避難者を誘導しました。それでも車の中で過ごさざるを得ない避難者もいました。23時半の総社のアルミ工場爆発があり、ますます避難者が増えて、7日の朝には約二千人、約470台の車が停まっていました。

 学校には乾パンや水など限られた食料しかなく、毛布も全員には行き渡りません。まちづくり推進協議会の役員と相談をして、7日の明朝に岡田分館の台所で炊き出しをすることになりました。朝の6時から、地区の女性がおにぎりをつくり始めました。しかし、8時頃から分館の周辺も水が浸かりだし、ここは危ないと判断し、炊き出しを中断して避難することになりました。7日の昼頃から夕方にかけて、水はどんどん増え、分館は高さ2m3cmまで浸かりました。できたところまで、おにぎりを届けましたが十分ではなく、7日の15時頃に、ようやく救援物資のパンが届き、みなさんに配布できるようになりました。

 7日の午後からの浸水で、協議会の役員の家の多くも被災し、避難所の運営に関われる人は私ともう一人くらいになってしまいました。私の自宅は幸いにも高台にあり、浸水は免れましたので、11月2日に避難所が閉鎖されるまでの120日間、毎日、通い続けました。避難所では学校の先生をはじめ、市の職員、ボランティアの協力を得て運営しました。最初は避難者の名簿が作成できないほど、混乱していました。クーラーが設置され、段ボーベットを導入し、様々なボランティア団体による炊き出しもあり、避難所が少し落ち着いたのは7月末頃です。私は毎日、朝6時半にラジオ体操を行い、体を動かす機会をつくっていました。

 

一人でも多くの人が岡田に帰ってきてもらえるように

まちづくり推進協議会では毎月たくさんの行事を行っていました。7月13日は、「真備船穂総おどり」が予定されていましたが中止となりました。8月のお盆の夏まつりも中止に。そのような中、小学校のPTA会長から秋まつりは子ども達のために開催したいと話しがあり、ボランティアの協力を得て分館で開催することができました。また、8月末には老人クラブ主催の歌声喫茶が再開され、150人もの人が集まりました。その他に岡山国体の民泊事業でご縁のあった大船渡市からサンマ600匹のご支援があり、サンマ祭りも開催しました。月に1回でもいいから、岡田に帰ってくる機会をつくり、一人でも多くの人が岡田に戻ってこれるよう、まちづくり協議会の活動を続けていきたいと思っています。若い人に協力してもらいSNSなどを活用してイベントや救援物資などの情報を発信していますが、見なし仮設住宅に入居している住民に直接、連絡がとれないことは辛いです。    

 

(聞き手:矢吹、石塚)

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Vol.6

 早くみなさんに元気になってもらいたい今までの活動を続けていきます

黒瀬 正典さん (65歳) 岡田

岡田まちづくり推進協議会会長

2019年1月8日(火)