防災士として避難所運営を買ってでました
6日の夜、総社のアルミ工場が爆発し、これは大変なことになったと感じました。自宅が浸水するとは思っていませんでしたが(実際には1階がすべて浸水)、備えとして、水や食料を2階のロフトに避難させました。私は、防災士の資格をとり3年ほど前から地域に自主防災組織の立ち上げを働きかけていました。雨も降り続いていたので、避難所にたくさんの人が押し寄せているだろうから、防災士として、避難所が心配になりました。「避難所の様子を確認しに行き、防災士として地域貢献したい」と家族に話しました。そして、岡田小学校へ向かいました。
7日の午前3時に着くと、人が溢れて一種のカオス状態のようでした。避難所を開設したまちづくり推進協議会の会長にボランティアを申し出て、そこから約4ヶ月の活動がはじまりました。170人定員のところに二千人以上の想定外の数の住民が避難してきていて、避難者リストをつくる紙もなく、衛生状態も悪く感染症などが心配されました。ペットを抱いている人、体調がすぐれない人もごちゃ混ぜになっていたので、事情に応じて教室ごとに、分けることから始めました。ハザードマップから浸水する可能性がある家の戸数はわかっているのに、避難することを想定せずに避難所の容量が足りないというのは、明らかに準備ができていなかったということです。
避難所運営には市、まちづくり推進協議会、学校の先生、外部支援者と様々で、指揮系統が明確でなく情報共有もできていないような状況でした。8日の朝に初めてスタッフミーティングを開くことができました。それまでは寝ることも、食べる気も起こらなかったです。
最初の数日は避難所に泊まり込み、活動しました。少し落ち着いてからは避難所と家を往復し、閉鎖される十一月1日まで通い続けました。今回のことから、マニュアルはあっても、運用できるところまで訓練していないと、実際に起きた時には役に立たないことがよくわかりました。そして避難所の自治は地元が担わないといけないと感じました。この経験を活かして、自分達のことは自分達でするしくみや避難所のあり方を市や県に提案していきたいと思います。
みんなの想いを実現したい地域の一員として
以前はお金のためだけに働いていたのですが、鬱になったことをきっかけに働き方を変えました。地域のために働きたいと思い、中小企業庁の「ふるさとプロデューサー育成事業」に参加し、福島県川内村の地域産品ブランド化に関わりました。
岡山県飲食業組合の事務局を担っており、食のブランド化に取り組んでいるので、真備の復興にも活かせないかと考えています。
復興にあたっては、商店の復興だけでなく、外からも人が来るような、観光地のような魅力を創るぐらいの勢いが必要だと思っています。ひとつのアイデアとして“食”を中心に、真備の人が集まり、支援もできるような復興食堂のようなものを商工会青年部の方と一緒に考えています。
被災して地域を離れてしまった住民が帰ってきたくなるような、新しい人が真備に住みたくなるような復興まちづくりをめざしたいと思っています。
(聞き手:矢吹、石塚)
Vol.5
ふるさとプロデューサーとして真備の復興の役に立ちたい
太田 裕之さん (53歳)岡田
避難先:自宅の2階
2018年12月20日(木)