
Vol.4
復興は私たちの暮らしの挑戦みんなが集まれる”接点”をつくりたい
堀口 真伍さん (42歳)辻田
2018年12月13日(木)
被災を免れ救助活動に専念
私の自宅はぎりぎり浸水を免れましたが、隣の家まで水がきているのを見て、7日の朝に、家族で裏山をのぼり辻田の森泉寺へと避難しました。そこにメディアで話題になったジェットスキーの救助者がきてくれたので、その方が救助したお年寄りなどを寺へ誘導することから始めました。7日の夜になってようやく、水位が下がってきていたので、ジェットスキーの後ろに乗って地域を廻り、自宅の2階に避難している人を励ましたり、バッテリーを配布したりしていました。いつもの見慣れた風景が様変わりし、何十年も住んでいるのに方向感覚もなくなってしまいました。夜になると信号も含めてすべての電気が消えて、地域一帯真っ暗でした。7日の朝の時点に消防団として、避難所になっていた岡田小学校を巡廻し、避難所の運営を地域のまちづくり推進協議会がやってくれているのを知っていたので、8日の朝に電話をして「お寺に何百人も人が避難しているが、食べ物も何もない。避難所に何かありますか」と聞いたらパンが届いているから取りに来たら渡せると言ってくれました。寺の若い方と一緒に軽トラに乗って取りにいき、8日のお昼には避難されている方にパンと水を配布しました。
県内外の仲間の支援を被災した仲間に“つなぐ”役割を担う
7日に救出活動している最中から県内外の商工会青年部メンバーから「何か必要なものはないか」と連絡があり、8日の昼には私の工場のほうに食料と水を届けてくれました。9日からは、連絡がとれた人、つきあいのある事業所から支援物資の配布をはじめました。どこも泥まみれでした。仲間達は、家の片付けには全く手をつけず、まずは工場、商店を最優先で泥だし、機械の洗浄などを行っていました。事業再開に向けて懸命に頑張っている人もいましたが、「就業して勤め人になろうかな」「もう無理です」という人もいました。支援物資を渡して、被災した仲間達の顔写真を撮ることにしました。なぜかカメラを向けると、みんな笑顔になりました。それをラインにあげて、頑張っている様子を伝えました。毎日5,60人の仲間達が支援に駆けつけてくれたので、支援が必要なところへつなげる役に徹しました。中には、手伝ってもらうことに躊躇する人もいたので、町中にゴミがあふれていたので、商店前の駐車場や道路にはみ出したゴミを運ぶ作業を朝から夕方までやってもらいました。
真備住民の“接点”を創りたい
岡田小学校のPTA会長をしています。夏祭りなど子ども達が楽しみにしていた行事が見送られる中で、何か「地元発信」のイベントをしたいと考えました。幼稚園と小学校のPTAとまちづくり推進協議会が力をあわせて、10月13日に秋まつりを開催しました。PTA、まちづくり協議会が協働し、外部支援者の協力を得て祭りを開催するのは初めてでした。800人くらいの人が集まりました。ある人の言葉ですが「災害からの復興は、真備に生きる。真備を生きる。」ことであり、これは私たちの暮らしの挑戦だと思います。復興に向けては、地域のみんなが集まれる場所が必要です。バラバラになってしまっている住民が、土日に真備に来る機会をつくり、地域住民の「接点」を創りたいと思っています。
(聞き手:矢吹、石塚)