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番外編

あの晩、何もかもなくしたけど、人としての美しさを見せていただきました

奥原 ヒサコさん (81歳) 有井

避難先:茶屋町

2019年9月26日(木)​ 

長老の経験が生きて

  私は隣の家の三宅一家に助けられて、車3台で避難をしました。しかし、車は大渋滞している。すると長老の94歳のおじいさんが「わしは昔の古い古い道を知っとるから、後ろの2台に言え」と言って「わしが言うから、そのとおりに行け。この際じゃから、よその庭も屋根もない。車は壊れても命のほうが大事じゃ」と。そしてどこをどう通ったかわからないまま、箭田の竹藪まであがることができました。そしてクリーンセンターへと向かいました。

 

避難先は地獄絵のようだった

クリーンセンターは既にいっぱいで、車を停めるにもあっちこっち走り回って探さないといけない状況でした。3台バラバラになってようやく車を停めることができ、私とおじいさんと3歳と1歳の小さな子の4人は、クリーンセンターの中の部屋へ行くことにしました。しかし、部屋の手前の階段にも人が座っている状態です。部屋にたどり着くと、そこは地獄のようでした。スリップ1枚で赤ちゃんを抱いているお母さん、わんわん泣いている子どもたち、涙をぽろぽろ流してぼうっとしているおじいさんなど。言葉では言い表せない状態でした。よけて入れてくださいとは言えない状況、言う隙間もなかった。仕方がないので、外のフロアで2人の子どもだけは横にさせてやって、おじいさんと2人で番をしていました。水もないわ、食べ物もないわ、トイレも使えない、あれでは避難所ではない。

 

一番大切なものは「住所録」 

最近になっても「あっ、あれ着よう」と思い「あっそうか、ないんだ」って思うことがしばしばあります。大切にしていた指輪も何もかも流されてしまいましたから。でも避難する時に何が一番大切でしたかと尋ねられて、私は住所録と回答しました。何が大事かあげればきりがないけれど、私は住所録が一番大事だと思いました。携帯の使い方がよくわからない私は、心配してくださっている人たちの連絡先がわからず困りました。その他には薬やお水です。

 

「真備に帰っておいで」と言われています

みなし仮設のアパートの前の家の奥さんと親しくなって、毎日のように話にきてくれます。おすそ分け持ってきてくださったりして、本当に助かります。でも外出は病院ぐらい。お互いさまセンターに送迎してもらっています。買い物にも行かないといけないけど、めったに出かけません。知らない町ですから、わからないのですよ、何がどこにあるか。

 有井の人から「帰っておいでよ、有井に帰っておいでよ」と言われています。となりのおじいさんは何を言い出すかと思えば、「奥原さんがおらんにゃ寂しいぞ」と言う。私は「そばにおらんようになったら、すごい楽だわ」と強がって反対のことを言っています(笑)。私は独り身で後継ぎもいないので、家を再建することは難しいと思っています。災害公営住宅など集合住宅であっても、知っている人同士で暮らせるときっと楽しいと思います。

(聴き手:土師・石塚)

 

奥原さんの手記  「7月6日に起きたこと」

ドカンと聞いたこともない音がして、電気をつけて時計を見ると、時計の針は夜中の12時近くを指している。どこかの山でも爆発したのか。すぐ近くのような、遠いところからのような音に、何が起きたんだろうと思っていたとき、寝室の窓を激しくたたく音がした。「おばちゃん、起きて。すぐに避難しないと、向かいの土手が切れて家が流されている。1分を争うから出てきて」と隣のヒロシ君の声。私は着の身着のまま、ヒロシ君におぶさるようにして外にでて、車に乗せてもらった。外はバケツをひっくり返したような雨。何が何だか分からないまま、隣の三宅一家と避難することになった。三宅家は、最年長は94歳、最年少は1歳の大家族である。隣人の私まで気遣ってもらったことに感謝の気持ちでいっぱいだった。

3台の車で避難所に向かおうとして有井土手に上がった途端、末政川はまるで波同士が牙をむき合うように荒れ狂っている。土手にも水が来ている。向かい側の家が悲鳴をあげながら、水に流されている。口もきけない恐ろしさ。川はますます水を巻き上げ襲いかかってくる。そのとき、ヒロシ君が車のライトの光の先に人影を見て「誰かが川に流されている」と言うなり、すぐに車から飛び出した。先に2人の人が川の中に落ちた人を助けようとしているのだけど、怒り狂っている水。激流はしぶきを上げ、渦を巻いている。ヒロシ君は手を貸そうと怒り狂っている水の中に。ヒロシ君は綱を持ち、川土手に足を踏み入れ、びしょぬれになって必死に助け出そうとする姿。私たちは車の中から声も出ず、ヒロシ君の奥さんは、「お父さんが流される、お父さんが死ぬ」と泣き、5年生と2年生の2人の息子たちは、父親の姿を車のフロントに顔を張り付け、石のように手を握り、鳥肌を立てて見ている。車の中は息もできない緊張感。ヒロシ君は、川の中に落ちている人の力が尽きかけていると察したのか、綱を持って、体のどこかに巻き付けに川の中へと入っていった。私はこんな気迫を味わったことがありません。2人の子どもが父を案じている姿。心打たれました。ヒロシ君と2人は死に物狂いで、荒れ狂っている川から落ちた人を助け出すことができました。私たちは大きなため息とともに、「よかった。お父さん強くて立派だったね」と言いつつも、涙が止まりませんでした。ライトに映し出されたヒロシ君たちは何事もなかったように、頭からびしょぬれになって、こんな美しい姿を見たことがありません。優しさ、心からの思いやりを教えられました。2人の子どもにとっても、心に深く、深く、親の姿を一生忘れないでしょう。何よりの教育だと思います。助かった人、助けた人も一生忘れることはないでしょう。

 

前向きに生きていきます。ありがとう

私は81歳の1人暮らし。それに足が不自由で、家も平屋、有井土手のすぐそばでした。私もヒロシ君が来てくれなかったら、起こしに来て、連れ出してくれなかったら生きてはいなかったと思います。今、思い起こしても大変ありがたくて手を合わせております。何もかもなくして、身ひとつになりましたが、人としての美しさ、思いやり、勇気、人情の花を見せていただき、私も前向きに生きていきます。助けてくださった隣人の三宅さまご一家、ヒロシ君に心よりお礼を言います。ありがとう。

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