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Vol.22

運動会や夏祭りを一緒に行った

友達ばかり、川辺の良さをわかっている

中西 正彦さん (75歳) 川辺

避難先:薗

2019年12月12日(木)

みんなに切望されて、理容店を昨年の12月から再開しています

  ここに生まれて75年、ずっと川辺に住んでいます。妻は川辺で理容店を営んでいます。水害で店舗も自宅も被災しましたが、みなさんから早く理容店を再開してほしいと要請があり、昨年の12月から店は再開しました。理容店には地域の情報が集まると言われるように、地域の寄り合いのような場所です。災害後はバラバラになってしまいましたが、避難先から、わざわざ散髪に来てくれています。中には体調が悪い人もいて、私が迎えにいったりしています。散髪をしながら、お話を聞いていると、災害のショックで体力が弱ってしまった人が多いように思うし、避難先では景色も違うし、話し相手もいないので「さみしい」と言われる方が多いように思います。

公民館の運営に関わって約50年。集いは大切です

 川辺のまちは昭和40年代からたくさん家が建ちました。その頃はまだ新しい住民ばかりで、夏祭りなど地域行事は活発ではありませんでした。私は、20代の頃に青年の船の研修会などに参加させてもらう機会があり、色々と学びました。その経験を活かして、夏祭りを計画したり、公民館の運営委員をしたり、ずっと地域活動に関わっています。真備町が倉敷市と合併してからは公民館長として十数年務めています。川辺には川辺分館管理組合を含めて5つの大きな団体があり、さまざまな集いを公民館で催してきました。月に千人くらいは利用していました。川辺の良いところは人と人の関係です。トラブルが少なく、団体同士の仲が良い。川辺分館は今年の5月に再開しましたが、利用する人が減り、元に戻るには時間がかかりそうです。まちづくり協議会主催の餅つきや、老人クラブのグランドゴルフなど、楽しい行事を機会にバラバラに暮らしている住民に声かけをしています。

 

「復興祭」を開催し、川辺の未来を考えたい

 5団体と町内会長全員と話しあって「復興祭」を開催することにしました。川辺分館の修復ができて、川辺小学校が再開し子ども達が川辺に戻ったら開催しようということになりました。被災直後からたくさんのボランティアが川辺に入ってくださり、暑い中、助けていただきました。13団体、24名くらいの方を招いて、今の川辺を見てもらおうと思います。そして川辺の住民と一緒に、これから先のことを語り合いたい。お礼を伝えるだけでなく、災害からもう一度立ち上がるために、未来について語り合う「復興交流会」を開きます。

 

水害では命を失うことはない。身近なところに避難場所を

 川辺は水害の多いところだと諸先輩から聞いていたし、昭和50年代に起きた水害も経験しています。川辺には丘陵地がなく、身近に避難できる場所がありません。河川堤防を整備しても気象条件が変化する中で、また豪雨がおこり小田川が氾濫することもあるでしょう。大切なことは命を守ることです。早めに避難すれば、水害で命を失うことはないということが大切です。そのためには、一人ひとりが意識すること、身近なところに避難できる場所を確保することが必要です。

      

(聞き手:矢吹、石塚)

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