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避難する人は少なかった       

この地に古くから住む人からは、過去にその人の家の庭先まで水がきたことがあるという話を聞いていて、位置関係を考えると自分の家は1階の天井まで水がくる可能性があることは知っていました。しかし、これまでは大雨や台風がきても、せいぜい床下までだろうと思い、2階に避難したらよいと思っていました。なぜか今回だけは避難したほうがよいと感じ、団地裏にある熊野神社へ避難しました。昨年から娘と孫が同居していたことも判断に影響したのかもしれません。午後11時半の総社の爆発の後、熊野神社へ避難していました。家の1階の時計は午前3時45分で止まっていました。

 私が住む黒宮団地では自主防災組織をつくり、年1回は避難訓練を実施していました。そして地区のそばにある熊野神社を緊急避難場所としていました。4班に分かれて点呼をとり、熊野神社への避難路の確認や防災備品の確認などを実施していました。熊野神社にはピーク時で200人くらいの人が避難していましたが、早めに避難した人は少なかったと思います。班長さんは避難の声かけをしましたが、避難するかどうかは個人の判断に任され、点呼などはとらなかったです。訓練と現実は異なるのだと感じました。熊野神社は市の避難場所に指定されていなかったので、最初の2,3日は救援物資が届かなかったのですが、被災を免れた地区の人が炊き出しをしてくれました。助かりました。

 

まちづくり活動を休止 

呉妹地区では公民館分館も浸水し、まちづくり活動の道具も失い、集まる場所がなくなってしまいました。まちづくり活動を担っていた人が、みなし住宅や仮設住宅にばらばらに入居し、連絡先もわからず、活動をするのが難しくなり、休止することになりました。呉妹のまちづくり活動は、吉備真備公が琴を弾いたという岩があり、中秋の名月に「弾琴祭」を開催するために有志が集まったことが始まりです。「弾琴祭」は地区の伝統行事となっていますが、昨年は祭事だけ、顕彰会の方がやってくださいました。今年は何とかまちづくり推進協議会として再開したいと思っています。

 

まつりを再開することから 

呉妹地区には、もうひとつ秋祭りの神輿があります。昔は神輿をよそから借りてきていました。そこで、自分たちの神輿を作ろうと備中呉妹会を組織し、資金を貯めるために地域イベントに出店し、竹串を使った牛串を販売していました。そして約20年前に重さ1tもある大きな神輿が完成しました。新しく作った神輿なので、尾崎の熊野神社、妹の穴門山神社の両方に奉納しています。今回の水害では被害が免れましので、神輿も再開したいと思います。

 自主防災組織では、「自分の命は自分で守ること」に取り組んでいきたい。それには、まず、まちづくり推進協議会自体が復活しないといけません。

   

(聞き手:矢吹、石塚)

Vol.8

地区の祭りを再開することからまちづくり活動を元に戻していけたら

坂本 博さん (72歳)呉妹

呉妹地区まちづくり推進協議会会長

避難先:倉敷市玉島

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