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まびラボの夢  多田 伸志

コロナと災害・・・私たち人間は大きく価値を見直さねばならないのか・・・


真っ暗だった夜のまちに灯りがともり始めました。泥に沈んだ家々はこわされ、更地が増えました。スーパーやお店も再開し、新しい小さな平屋が建ち始めました。「こんなに早く・・・」。まちの景色は新しくなりますが、こころのどこかがついて来ません。ドロドロのまちを助けてくれた災害ボランティアセンターは役割を終えられました。学校が再開し、大型バスの代わりに子どもたちが並んで登校する。災害公営住宅の建設も決まり、6月には入居の抽選・・・小田川の付け替え工事も大きく始まり、復興防災公園の整備が決まり・・・「まだ2年にもならないのに」、次々と新しい施策が打ち出されていきます。そして「もう2年」、7月からはみなし仮設住宅の入居期限が終わり、次をどうするか選択が迫られます。時の流れに追われていく・・・被災した5700世帯の避難者の人たちは今、どんな気持ちでおられるのでしょうか・・・

倉敷市社会福祉協議会が運営委託されている「真備支え合いセンター」は、みなし仮設住宅を始め、被災者の見守りにずっと歩かれています。その中にはまだ気になる方々が孤立しておられます。私たち「お互いさまセンターまび」も65歳以上のお年寄りや障害をもたれた方々への「移動支援」や「生活支援」をしながらまちの人たちの息づかいを感じてきました。センターへお電話くださる方は、みなさん大変な生活をされながら、でもまだ「助けて」が言える方でした。今年に入って、私たちが気にしていたひとり暮らしの方二名が、被災したままの自宅で静かに亡くなられました。孤立し、なかなか「助けて」と言えなかった人たち。私たちは何もできなかったと悔やみ、仕方なかったと諦めようとしています・・・。

「復興」って何なんだろうって思います。土手を強くし、建物を元どおりにすることだけではないと思えるのです。いつも亡くなっていくのは孤立した人たち、そう「小さき者」たち・・・どこの被災地でもそうです。ということは日本中がそうです。私たちは平等に泥水に浸かりましたが、命を亡くした方の多くは「小さき者」でした。そしてどうしても、復興への道筋とスピードにも「小さき者」への配慮を感じえないのです。被災当初のがむしゃらにみんなで泥をかいた、あの一体感が薄れ、無力さを感じ、力が抜け、そして諦める。「復興」とは格差のある昔へ戻すことなのか・・・ちがうと思うのです。私たちは大きな失敗をしました。その失敗から学び、自分のこととして新たな「お互いさま復興」を目指したい。

復興まちづくり会社「一般社団法人お互いさま・まびラボ」は、医療・福祉の仲間たちが言い出しっぺ、よちよち歩きの会社です。でも、この幼子がゆっくりと育っていく、いろんなまちの人たちが「お互い」に見守り、参加して育ち合っていく、そんな自分たちで「自律」する会社になりたい。まちづくりの方々、商工会の方々、教育関係の方々。そして子どもたち、若いママたちからお年寄りの方々まで、みなさんが参加する、一緒にさまざまな違いを受け入れる「多様性(ダイバーシティー)」のやさしく、面白(おもろ)い「復興」を夢見ながら。

コロナと災害・・・私たち人間は大きく価値を見直さねばならないのか・・・

コロナウイルスで日本中が非常事態宣言の最中です、世界中で人間が隔離されています。そのかわりに大気汚染がなくなり、青空が広がっているそうです。真備でもそうですが、被災したエリアの人へ被災を免れたエリアの人がうしろめたさを感じました。東日本大震災でもあの映像に涙した人も後ろめたさを感じました。でもそのうち忘れていきます。私たちは被災者になりました、当事者になった私たちは他人事ではなく自分事で考えれる立場です。そして目の前にコロナの災禍を迎え、「どうするか」を試されています。コロナは全世界、誰にとっても自分事です、真備と同じ、「お互いさま」でいきたい、そう思えるのです。




多田 伸志(ただ しんじ)

NPO法人 岡山マインド「こころ」/代表理事

一般社団法人お互いさま・まびラボ/副代表理事

1960年広島県尾道市出身。地方市場でマグロを解体していたが、思うところがあり24時間全開放病棟の精神科病院まきび病院の相談員として23年間、失敗を重ねながら勤務。当事者が堂々と「隠さず」に地域で暮らすことを目的に2002年NPO法人岡山マインド「こころ」を当事者の仲間たちと設立。2011年には、補助金をもらわない地ビール醸造所と仲間で助け合って暮らすグループホームを立ち上げて、まちへの土着を目指す。


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